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東京地方裁判所 平成8年(ワ)20238号 判決

原告

山瀬好文

右訴訟代理人弁護士

植草宏一

被告

東京ゼネラル株式会社

右代表者代表取締役

飯田克己

右訴訟代理人弁護士

青山周

右訴訟復代理人弁護士

青山敦子

主文

一  被告は、原告に対し、七四二万五〇〇〇円及びこれに対する平成八年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、七四二万五〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員(遅延損害金)を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告を退職したと主張する原告が、被告の退職金の定めに基づき、被告に対して退職金(退職一時金)の請求をしたところ、被告が、原告の退職の意思表示の効果の発生前に懲戒解雇をしたから退職金請求権がないと主張してこれを争っている事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、商品先物取引等を業とする株式会社である。

2  原告は、昭和五四年一〇月二二日被告に雇用されてその従業員として勤務し、昭和五五年三月二五日登録外務員の資格を取得し、平成八年二月五日被告営業本部第二ブロック仙台支店(同年七月一日付けで第三ブロック仙台支店に組織変更)支店長に就任し、同年八月当時、その地位にあった者である。

3  被告の就業規則には、次の定めがある。

一九条(退職)

従業員が次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日とし、従業員としての資格を失う。

(1) 本人の都合により退職を願い出て、会社の承認があったとき、又は退職願提出後一四日を経過したとき。

三七条(賃金の計算)

賃金の決定、計算及び支払方法、締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項は、別に定める給与規程による。

三八条(退職年金)

退職年金に関する事項は、別に定める退職年金規程による。

四一条(制裁)

従業員が次の各号の一に該当するときは、次条の規定により制裁を行う。

(3) 故意に業務の能率を阻害し、又は業務の遂行を妨げたとき。

(5) 正当な理由なく、しばしば無断欠勤し、業務に不熱心なとき。

(10) 業務上の指揮命令に違反したとき。

(12) 前各号に準ずる程度の不都合な行為をしたとき。

四二条(制裁の程度)

制裁は、その情状により次の区分に従って行う。

(4) 懲戒解雇

予告期間を設けることなく、即時に解雇する。この場合において、所轄労働基準監督署の認定を受けたとき予告手当(平均賃金の三〇日分)を支給しない。

4  被告の給与規程には、次の定めがある。

二九条(退職金の支給範囲)

本文

従業員が退職した場合においては、退職年金規約の規定により退職金を支給する。

三〇条(退職金額)

退職金額は、退職年金規約に定める金額による。

三二条(退職金の無支給)

就業規則四二条四項の規定により懲戒解雇した場合は、退職金を支給しない。但し、情状により、自己退職の場合の支給額の五〇パーセントの範囲内で支給することがある。

5  被告の退職年金規約には、次の定めがある。

一七条(退職一時金)

一項本文

勤続期間三年以上の加入者が退職年金受給資格を取得しないで退職したときは、退職者に対し退職一時金を支給する。

二項

退職一時金の給付額は、勤続期間に応じ、退職時の基準給与に別表2に定める給付率を乗じた額とする。

三三条(給付の制限)

加入者が懲戒解雇された場合は、本制度による給付を行わない。ただし、情状により、その一部を支給することがある。

三四条(勤続期間の計算)

二項

給付額算出のための勤続期間は、入社の日から退職又は死亡の日までを計算し、一年未満の端数は切り捨てる。

別表2

勤続期間一六年 給付率二七・〇

6  平成八年八月当時において、原告の勤続期間は一六年(一年未満切捨て)、被告の退職年金規約一七条二項に定める原告の基準給与は二七万五〇〇〇円である。

7  被告は、原告に対し、平成八年八月二六日付け書面により、同日付けをもって、就業規則四一条(3)、(5)、(10)、(12)、四二条(4)により原告を懲戒解雇に処する旨の通知をし(以下「本件懲戒解雇」という。)、右書面は同月二八日原告に到達した。

二  主な争点

1  退職の効果の発生時期

(一) 原告の主張の骨子

(1) 原告は、平成八年八月一日、上司である被告第三ブロック長吉田徹雄取締役部長(以下「吉田部長」という。)に対し、退職の意思表示をした。

(2) 原告は、前記退職の意思表示に基づき、同月一三日、被告仙台支店松本健一業務係長(以下「松本係長」という。)に対し、退職届(〈証拠略〉。以下「本件退職届」という。)を手渡すことにより、これを被告に提出した。

(3) 仮に原告が松本係長に本件退職届を手渡したことがないとしても、同日、被告仙台支店副支店長有馬清一副長(以下「有馬副長」という。)は、原告が使用していた机の引き出しの中から、当日原告が仙台支店を退出する際に置いておいた封筒(〈証拠略〉)入りの原告の退職届(本件退職届)を発見し、吉田部長に右事実を報告したところ、吉田部長から「封筒を開けて、読んでくれないか。」との指示を受け、本件退職届の内容を読み上げたのであるから、この時点で、原告の退職の意思表示は、被告に到達した。

(4) したがって、原告の退職は、〈1〉 平成八年八月一三日((2)のとおり、同月一三日、被告に本件退職届を提出したことによる。)、〈2〉 同月一日から一四日後の同月一五日を経過した時点((1)のとおり、同月一日退職の意思表示をした日から、就業規則一九条(1)所定の期間を経過した時点である。)、又は、遅くとも、〈3〉 同月一三日から一四日後の同月二七日を経過した時点((2)又は(3)のとおり、同月一三日退職の意思表示をした日から、就業規則一九条(1)所定の期間を経過した時点である。)で、その効果が発生した。

(二) 被告の主張の骨子

(1) 被告日本橋支店に常駐していた吉田部長は、平成八年八月一日、仙台支店の原告から相談があるので会いたい旨の電話連絡を受け、当日都内で原告と会ったところ、原告から、被告を辞めたい旨の表明を受けたので、上司である猪俣圭次常務取締役(以下「猪俣常務」という。)にも連絡し、同人と共に原告と話し合い、原告を慰留した結果、原告は退職を思いとどまった。

このように、原告が吉田部長に辞意を表明したことは事実であるが、それ以上に進んで退職の意思表示をしたということはなく、右の辞意も慰留を受けて撤回したものである。

(2) 原告が、同月一三日、松本係長に本件退職届を手渡した事実はなく、そもそも、同係長は原告の退職の意思表示を受領する権限を持っていなかった。被告の職務権限規程において、支店従業員の退職については、支店長が立案し、ブロック長及び本部長が審議して、担当役員が決済する旨定められているから、仙台支店長であった原告は、少なくとも、ブロック長として直接の上司の地位にある吉田部長に退職の意思表示をしなければならなかったものである。

(3) 原告は、前同日、自己の使用していた机の引き出しの中に本件退職届を置いてそのまま仙台支店を退出したものであるから、原告が被告に退職届を提出した事実はなく、仮に、同月一日から一三日までの原告の言動を退職の意思表示と解する余地があり得るとしても、右言動にかかわる諸事情からすれば、少なくとも、退職金請求権との関係では、退職権ないし辞職権の濫用であるから、退職の意思表示は無効である。

2  本件懲戒解雇の正当性

(一) 被告の主張の骨子

(1) 原告は、仙台支店長という重要な職責にあったにもかかわらず、平成八年八月一三日午前一一時半ころ、勝手に仙台支店から退出するとともに借上社宅から転居して転居先を隠して所在を明らかにせず、同日以降、被告に無断で職場を離脱して職務を放棄し、かつ、被告からの連絡、出社指示等に一切従わなかった。しかも、原告は、業務の引継ぎをしなかったので、支店長の目標設定に基づき運営される支店業務に著しい支障が生じ、顧客との対応にも問題が起こり、また、支店従業員に不安、動揺を及ぼし、その志気に著しい悪影響を与えたので、被告は、その対応に奔命させられた。

(2) このような原告の行為は、就業規則四一条(3)、(5)、(10)、(12)に該当し、その情状は極めて悪質であるので、被告は、就業規則四二条(4)に基づき、原告に対して懲戒解雇をすることを決定し、同月二六日付けで本件懲戒解雇をしたものである。

(3) したがって、就業規則三七条、三八条、給与規程二九条、三〇条、三二条、退職年金規約三三条の定めるところにより、原告には退職金請求権がない。

(二) 原告の主張の骨子

(1) 前記1(一)(4)のとおり、原告の退職は、遅くとも平成八年八月二七日を経過した時点でその効果が発生したから、同月二八日原告に到達した本件懲戒解雇は、既に従業員たる身分を離脱した者に対してされたものとして、法的意味を持たない。

(2) 右に述べたところをひとまず措くとしても、本件懲戒解雇は、原告の人柄や被告に対する長年の貢献の大きさなどからすれば、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認し得ないから、懲戒権の濫用であって、無効である。

(3) 仮に、何らかの理由で本件懲戒解雇が有効であったとしても、退職金不支給規定を有効に適用することができるのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消(全額不支給の場合)ないし減殺(一部不支給の場合)してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られるから、そのような事実が認められない本件においては、退職金不支給規定を適用することはできない。

第三当裁判所の判断

一  争点1(退職の効果の発生時期)について

1  前記第二の一の争いのない事実の一部、証拠(〈証拠・人証略〉、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、平成八年八月一日午後、被告日本橋支店に常駐する吉田部長に対し、仙台支店からの電話で、直接会って話したいことがあるので今日時間を取ってほしい旨を伝えて上京し、同日午後六時半ころから、被告日本橋支店近くのホテルのバーで吉田部長と会い、被告を退職して九州にある妻の実家の家業を継ぎたいとの意向を同部長に打ち明けた。

(二) 原告から辞意を打ち明けられた吉田部長は、約二時間にわたって原告の慰留に努めたが、原告の態度に変化が認められなかったため、かねて日本橋支店で待機中の猪俣常務に電話で事の次第を報告すると、午後八時半ころ、ホテルに到着した猪俣常務は、バーに入るなり、原告の背後から「何を考えているんだ。」と言って原告の後頭部を小突き、その後も、「お前が考えを変えるまでは何時になろうが帰れないぞ。」「俺が憎ければ、おれを殴れ。」などと激しい調子で原告をなじったり、うつむいて肘掛けいすにもたれている原告の肘を払ったりなどした。猪俣常務は、かねてから、急激な成果を上げることはないが常に安定した営業実績を保っていた原告に目をかけ、その将来に期待を寄せていたことから、辞意を再考させようとする余り、このような激しい態度を取ったものであったが、これを、無理やり辞意を押しとどめようとする威嚇的、強圧的なものと受け止めた原告は、「もうこれ以上話しても無駄だ。」という気持になった。

(三) 同日午後一一時過ぎ、バーの閉店時刻になったため、右三名は、ホテルを出てタクシーで門前仲町まで移動し、寿司店に立ち寄って食事をしてから、同町付近のマンションにある吉田部長の居宅に行った。右居宅でも、同月二日午前一時ころから同二時ころまで、再び話し合いが続けられたが、猪俣常務が引き続き辞意の再考を促したのに対し、漸く重い口を開いた原告が「どうも済みませんでした。ご迷惑をかけました。」などと、謝罪を求め(ママ)るような発言をした。これを聞いた猪俣常務と吉田部長は、原告が辞意を撤回したものと信じ、そのため、猪俣常務は、同日午前二時ころ帰宅し、原告は、右居宅に宿泊した。

(四) 原告は、同日午前、仙台支店に戻ったが、吉田部長も原告に同行して仙台支店に出張し、原告が支店長としての通常業務に就いているのを見届けてから、同月三日午後帰京した。更に、吉田部長は、原告を督励するなどの目的で同月五日にも仙台支店に出張し、同月七日まで仙台市にとどまり、仙台支店の営業成績の向上や人事配置の計画などについて原告が積極的な姿勢を示すのを見て安心し、同日午後、猪俣常務に「山瀬の件は、もう大丈夫です。今は気持を入れ直してがんばっています。」などと電話で報告してから、帰京した。

このように、原告は、同月一日以降は、吉田部長に対して、被告からの退職の意思の有無を明らかにせず、むしろ辞意を放棄したかのように見える態度を採り続けていた。

(五) 同月一三日午前一〇時半ころ、松本係長が、原告から前日の経理日報の確認印を受けて支店長室を出ようとすると、原告は、同係長に「机の引き出しに、退職届、保険証、マンションの鍵が入っているから・・」と声をかけた。松本係長が、何のことか分からずに「何ですか。」と聞くと、原告は「うん。いや・・」と答えただけで何も言わなかったので、同係長は、自席に戻った。その後、同日午前一一時ころ、原告は、前場の立ち会い終了後の整理に追われていた松本係長のところに来て、同係長の肩を叩いてしつこく握手を求めた後、その場を離れた。

(六) 次いで、原告は、同日午前一一時半ころ、有馬副長に「もう帰るから」と声をかけた。有馬副長は、原告が同日から同月一八日まで夏期休暇の予定を組んでいたことを知っていたが、支店の実績や相場の動向などで予定どおりの日程で夏期休暇を取れない状況であったため、支店の営業社員の夏期休暇日程は随時ブロック長に報告するようになっていたので、原告に対し「どうしたんですか。吉田部長には連絡されたんですか。」と聞くと、原告は、「吉田部長には、おれが外から電話しておくから。」と言って、そのまま外出した。

(七) 吉田部長は、同日も、朝から電話で原告と連絡を取り合っていたが、午前一一時半ころ及び午後零時半ころの二度の電話の折りに原告がいずれも不在であったので、午後零時半ころの電話の際に有馬副長を電話口に呼び出して原告が外出した経緯を聞き、その様子に異常を感じたため、直ちに仙台市内にある原告の借上社宅に電話を入れると、通話中の信号音がしてつながらず、午後二時過ぎに二度目の電話をすると、現在電話が使用されていない旨の案内があった。そこで、吉田部長は、有馬副長に電話をして、原告の社宅を調査するよう命じた。同副長が、原告の社宅を訪ねると、インターホンの応答がなく、近所の者から「今日の昼過ぎに引っ越した。奥さんの実家に行くと言っていた。」旨の話しを聞いたので、仙台支店に戻り、同日午後五時ころ、以上の調査結果及びその後松本係長から知らされた前記(五)の事実経過を吉田部長に電話で報告した。

(八) 右報告を受けた吉田部長は、その電話で、有馬副長に「念のために支店長の机の中を見てくれないか。」と指示した。有馬副長が、原告の使用していた机の引き出しを開けると、封筒(「退職届」と標記してあるもの。〈証拠略〉)入りの本件退職届(「退職届」との標題の下に「このたび一身上の都合により、平成八年八月一三日をもって退職いたしたく、ここにお届けいたします。平成八年八月一日 仙台支店山瀬好文 東京ゼネラル株式会社代表取締役飯田克己殿」と記載したもの。〈証拠略〉)、社員証、保険証、雇用保険被保険者証、年金手帳、厚生年金基金加入員証、社宅の鍵が透明ビニールの入れ物にまとめて入れて置いてあるのを発見し、吉田部長に右事実を報告したところ、吉田部長から「封筒を開けて、読んでくれないか。」との指示があったので、同日午後五時過ぎころ、電話口で本件退職届の内容を読み上げた。吉田部長は、これにより、そのころ、本件退職届の内容を知った。

(九) 被告の職務権限規程によれば、原告の退職願の受領権限は、被告第三ブロック長として原告の上司の地位にある吉田部長が有している。

なお、原告は、平成八年八月一三日松本係長に本件退職届を手渡した旨主張するが、(証拠略)及び原告本人尋問の結果中、右主張に沿う部分は、前掲証拠、特に(証拠・人証略)の証言に照らして信用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

2(一)  前記1(一)ないし(三)の認定事実によれば、原告は、平成八年八月一日、被告日本橋支店近くのホテルのバーで吉田部長に被告を退職したいとの意向を打ち明けてはいるが、当日の話し合いの状況及びその後の経緯に照らすと、原告は、後日退職届を提出するための、いわば準備段階として、上司である吉田部長に単なる辞意の表明をしたにとどまるものと見るのが相当であって、同月一日の原告の右行為を、退職の意思表示と認めることはできないものというべきである。

(二)  他方、前記(五)ないし(八)の認定事実によれば、原告は、同月一三日、自己が使用していた机の引き出しの中に本件退職届を入れて被告仙台支店を退出したものであるところ、退出前に松本係長に本件退職届の所在を知らせているのは、退出後にそれが被告従業員らによって容易に発見されて、速やかに被告に到達することを企図したことによるものと見ることができる。

そして、同日、有馬副長が、原告の使用していた机の引き出しの中から本件退職届を発見し、電話口で本件退職届の内容を読み上げたことによって、同日午後五時過ぎころ、原告の退職願の受領権限を有する同部長が本件退職届の内容を知ったものであるから、この時点で、原告の退職の意思表示は被告に到達したものと認めることができ、したがって、就業規則一九条(1)の定めによって、同日の翌日から起算して一四日後である同月二七日の経過により、原告の退職の効果が発生したものというべきである(本件退職届は、その標題、文言等から見て、就業規則一九条(1)にいう「退職願」に当たるものと認められるから、それが被告に到達した日から右就業規則の定める期間の経過により効果が発生するものと解することに妨げはない。)。

なお、被告は、少なくとも退職金請求権との関係では、原告に退職権ないし辞職権の濫用があるとし、原告の退職の意思表示を無効と主張するところ、右主張は、原告が、同月一日以降、吉田部長に対して、被告からの退職の意思の有無を明らかにせず、むしろ辞意を放棄したかのように見える態度を採り続けていたのに、同月一三日に至って本件退職届を自己の使用していた机の引き出しに入れて退出するという、支店長という立場にそぐわないような意表を突く方法で職場を離脱したことを問題としているものと考えられる。確かに、前記1認定の事実経過からすれば、原告は、同月一日以降も、実際には退職の意思を保持しながら、社宅からの引っ越しなどの手配を密かに進めていたことが推認されるのであるが、原告がこのような行動を取ったのも、通常の穏当な方法で退職しようとすれば、吉田部長や猪俣常務から再び激しい妨害を受け、退職の目的を遂げることができないと思ったことによるものと考えられ、前記1(一)ないし(三)認定の同月一日の話し合いの経過に照らすと、原告がそのように思い詰めたとしても、そこには無理からぬものがあるといわざるを得ない。以上のような事情に加え、労働者には、本来、憲法二二条一項に規定する職業選択の自由に連なる退職(解約)の自由があることを併せ考えると、退職の意思表示を無効とする被告の前記主張は採用することができないものというべきである(もっとも、証拠(〈証拠略〉、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成八年一一月二九日、被告の同業者であるオリエント貿易株式会社に就職していること、及び、原告が被告仙台支店に勤務中、オリエント貿易株式会社に在職中のもと被告の従業員から、しばしば原告宛に電話がかかってきていたことが認められるから、同年八月一日当時、原告の真意としては、既にオリエント貿易株式会社への転職を考えていた可能性を捨て切れないが、たといそのような事実があったとしても、前記の説示に照らし、原告の退職の意思表示を無効とすることができない。)。

二  以上によれば、原告は、就業規則三八条、給与規程二九条本文、三〇条、退職年金規約一七条一項本文(原告が退職年金受給資格を取得しないで退職したことは、弁論の全趣旨によって認めることができる。)、二項、三四条二項の定めにより、被告に対して退職金(退職一時金)請求権を取得したことが明らかで、同月二八日原告に到達した本件懲戒解雇は、既に退職の効果が発生し、被告の従業員たる身分を喪失した後にされたものということができるから、給与規程三二条本文、退職年金規約三三条の定めの下においては、争点2について判断するまでもなく、原告の退職金請求権の取得に消長を来すものとはいえない。

そして、退職時である平成八年八月当時において、原告の勤続期間は一六年(一年未満切捨て)、被告の退職年金規約一七条二項に定める原告の基準給与は二七万五〇〇〇円であることは、前記第二の一の6の争いのない事実のとおりであるから、右基準給与に勤続期間一六年に対応する別表2記載の給付率二七・〇を乗じて原告の退職金(退職一時金)の額を求めると、七四二万五〇〇〇円と算定される。

したがって、右退職金七四二万五〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成八年一一月六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由がある。

三  よって、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成一〇年一二月二一日)

(裁判官 福岡右武)

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